「われわれは皆、”生きることの芸術家”として生まれてきている」
先日の高城剛さんのメールマガジン(Vol.445, 482, 585)などで、鈴木大拙氏について紹介されていました。世界に禅(ZEN)思想を広め、国内外で多くの本が出版されている鈴木大拙氏について、読みやすい入門書がありますのでご紹介します。
鈴木大拙氏は石川県金沢市出身の仏教学者、文学博士です。1897年(明治30年)に米国に渡り、英文による禅についての著作の発表をきっかけに、海外に仏教、禅、東洋思想を広め、多くの知識人(スティーブ・ジョブズなど)に影響を与えました。
本書は多くの著書の中から108の言葉を厳選したダイジェスト版です。「禅」についての本を初めて読む方にも、また改めて読み返したい方にも、「禅の世界」をナビゲートしてくれる内容となっています。
AIや気候変動、政治や国際情勢など、不安で生きづらさを感じやすい現代において、日本文化を通じて先人の知恵から学ぶおすすめの一冊です。
また、高城さんおすすめの「鈴木大拙館」は、鈴木大拙氏生誕の地である石川県金沢市にあります。五感で"禅空間"を体験することができます。
Link :
- 鈴木大拙館(Official Page)
目次
- はじめに
- 第一章 自然のままに、自由に生きる
- 001 花を知るには花になる、そして世界を知る
- 002 林檎が無心に生きていく
- 003 発見されようとされまいと、そこに在る
- 004 びっくりしたら、びっくりしたでいいじゃないか
- 005 松は松、竹は竹が、ほんとうの自由
- 006 自由意志で生まれてきた者なんて、ひとりもいない
- 007 みずから・おのずから出てくるのが、自由
- 008 「わがまま放題」は、あやつられているだけ
- 009 人間にはどうすることもできない「自然」がある幸せ
- 010 自然は善悪の区別・選択をしない。するのは人間
- 011 分断が、征服や侵略の「力」を現実にする
- 012 対抗し挑戦するだけでなく、和らぐ世界も忘れない
- 013 石や人を物としてだけ見て、蹴飛ばし踏みにじる世界
- 014 人間を征服するものは人間の内なる自然
- 015 平常心、意識的でありながら無意識であること
- 016 人生はそのままで満ち足りている
- 017 平常心、眠くなれば休む、空腹になれば食べる
- 018 威厳ぶって、ほんとうの威厳を欠く
- 019 そのままの自分を見てほしい。が、その勇気がでない
- 020 外から身につけた「衣装」を脱ぐとき宗教体験がある
- 021 緑一色の春の天地、それが「一即多、多即一」
- 022 一つが一つを一つと見る
- 第二章 機械にとらわれず、美と愛に生きる
- 023 ゆったりヒマを楽しむか、刺激を追い求めるか
- 024 組織の中に閉じ込められてしまう人間
- 025 禅は生命の泉からじかに水を飲むことを教える
- 026 機械を使うか、機械に使われるか
- 027 機械で効果ばかりをねらう心①
- 028 機械で効果ばかりをねらう心②
- 029 仕事をしながら、仕事を離れてみると、詩がある
- 030 俳句の理解は、禅の悟りにつながる
- 031 生活が美術作品となる
- 032 人間は「生きることの芸術家」である
- 033 生活の芸術家は風のごとく自由にふるまう
- 034 真の芸術的創造は、宇宙的無意識から出現する
- 035 小さきものの美
- 036 努力の跡をのこさず、自己の労苦を忘れて生きる
- 037 茶をたてる、無心に
- 038 人間がただの手段・道具となってしまう
- 039 人間はどうしてもただの機械・物にはなれない
- 040 愛① 相依相関を説く哲学
- 041 愛② 力に酔った人、無限に広がる関係の網
- 042 愛③ われわれは一切に責任がある
- 第三章 知性・言葉とともに、無心に生きる
- 043 禅は生きた事実
- 044 生命を持たない言葉には禅を伝えられない
- 045 生命をそのまま生きる禅には、論理は存在しない
- 046 生の小川の流れを乱してはならない
- 047 言葉で説明するほどに、「それ」が遠のいていく
- 048 知性は心の平安をかき乱し、答えにはたどり着かない
- 049 知性の特性は二つに分けること
- 050 言葉と論理に縛られた奴隷の哀しみ
- 051 言葉は、実際の生命を交換するための貨幣にすぎない
- 052 言葉は社会生活に必要。でもそれにとらわれない
- 053 言葉が生命を妨げるなら、生命を保ち言葉を捨てる
- 054 月そのものを指し示す指(言葉)
- 055 禅について言葉を述べるときにできること
- 056 言葉の背景から出てくる意味を考える
- 057 個別的な知識の元となる全体だけ見ていても困る
- 058 無心。心が身体のあらゆる部位に充ちる①
- 059 無心。心が身体のあらゆる部位に充ちる②
- 060 無心。「思わないでいよう」とも思わない
- 061 本能と理性を超え含んでいる「人間の無心」
- 062 有心と無心、矛盾を土台とした生活
- 063 無心。空から降る夕立のように考える
- 064 山が山でない時節をいっぺん通り抜ける
- 第四章 苦しみや矛盾のなかを生きていく
- 065 苦しむほどに、人格は深まり、人生を味わえる
- 066 苦しむことができるのが人間である
- 067 あきらめない、やり尽くす、苦しみのなかへ入る
- 068 苦しいという矛盾・考えも、一つのはたらき
- 069 人間の矛盾・悲劇
- 070 矛盾を矛盾のままに置いておく
- 071 人生に苦はつきものだとして、それではどうするか
- 072 人間だけが「ドラマ」を持ち、それを悲しみ、楽しむ
- 073 全人格をかけてたたかい抜いた後に得られる平和
- 074 生命は、一度に描かれる「墨絵」
- 075 セミの声。いま持てるすべてを出し切る
- 076 ただ日々の仕事をやることがいちばん大切です
- 077 仕事の最中には、評価は重要ではない
- 078 勤労を楽しむ
- 079 こうすべきだと思うことを努力するよりしかたない
- 080 ただ寂しい、自然の感じにまかせて
- 081 百年後には変わるかもしらんが、やっぱり考える
- 082 死と生を想う。そこには尊敬と感謝がある
- 083 「世界人としての日本人」として出来るだけはやる
- 084 自らを肯定し否定することから、寛容と尊重の心が生まれる
- 085 生命は移り行く。永遠の生命などない
- 086 星の観察者は今なお固い地上を歩いている
- 第五章 禅の悟りは、いわゆる「宗教」ではない
- 087 禅は、一般に考えられるような「宗教」ではない
- 088 毎日生きていくことが詩であり、宗教である
- 089 禅に宗派心はなく、すべてが手をつなぐ
- 090 結果を期待して祈るのは、ほんとうの祈りではない
- 091 宗教と道徳は異なるが、道徳を無視すべきでもない
- 092 禅は、こだわらない。何かに集中する「瞑想」ではない
- 093 自分に何かあると思っていては、宗教にならない
- 094 平凡で、平穏で、そして溌溂(はつらつ)として生きている
- 095 禅の真理は、理論化ではなく体験によって得られる
- 096 「飛び越える」ときが来たら、思い切って投げ出す
- 097 悟りがなければ禅はない
- 098 砂糖の甘さは、直接口に入れて味わうしかない
- 099 悟りは、体験するしかない
- 100 禅は軽視することを知り、敬うことを知る
- 101 なんだか自分にはもったいない気がする
- 102 常に生命の中心をつかむ。そのために否定をする
- 103 周辺のない円には無限の中心がある
- 104 神が世界を創造し自覚する、その機を経験する
- 105 悟りは、対象のない自覚。「色」と「空」の不異
- 106 禅には「肯定」がある。ただの虚無主義ではない
- 107 絶対的肯定の禅。「空即是色、色即是空」
- 108 自分の生命の内からのもの。霊性と大地
- おわりに